宝くじなんて当たる訳ないと思って買っている人に、「そんなの当たる訳ない」と言うのはとても野暮。

今日は彼氏の話。愚痴っぽい日記。

うちはちょっと特殊な付き合い方をしている。

オープンリレーションシップ
というやつ。

付き合ってても他の人とセックスをしているのを
認めてるし知ってるし言う時もある。

「それは幸せなの?」
と聞かれるのだが、別に付き合っててセックスに重点を置いてないだけである。

そもそも今の彼氏と付き合うまではセックス自体そんなにしたことなかったけど
話の腰が折れるので割愛。


僕は彼氏が大好きだった。
大好きだったのだ。

付き合うときに言われた。

「ずっと一緒に居たいとは思ってるけど何があるかは分からないから期待しないでね」

要はこれから何があるかわからないからずっと付き合うという保証はないよ。という言葉。

別に僕もそうだなと思ってるからその時は「わかった」で済んだし、東京の家を決める時に、同居という選択肢をそもそも考えず、普通に家を借りた。

この言葉、正論なんだけど
不思議と何度も何度も言われると心にくる。
まるで「今は好きじゃないから、次が見つかるまでの繋ぎだから。」と言われてるような言葉に聞こえてくるのだ。
言葉って不思議なもんだ。

僕が何かを言うたびに彼はしきりにこの言葉を言う。
僕だってそんなの分かっているのに。


そして1年が経った。
彼は忘れていた1年の記念日。
お礼を言った。
彼はまた同じセリフを言った。
それだけでも僕はキツかったのだが
僕は言った。
「それはわかってるから、今の気持ちだけ教えて」
すると彼は
「今の気持ちか…うーん」
それで終わった。


ここまで来ると流石に察してしまう。


1年記念日の翌日から二人きりで行った大阪旅行。
彼と、知らない誰か、二人きり。
彼はその人の事を「好き」だと言った。


彼氏は僕の事を
「家族みたいな存在」
そう他の人に言っている。

家族みたいな存在ってなんなんだろうか
ずっと一緒に居られることを保証しない存在が
家族みたいな存在なんだろうか

まあある意味、
家族もずっと一緒に居られる保証はない。
離婚。死別。とかね
だけどその言葉を相手に言い続けるのは家族なんだろうか。

家族みたいな存在は家族みたいなもんだから、
他で恋人ごっこをしようってことなのだろうか。
彼の中の僕の存在意義ってなんなんだろうか。


もう僕は直接言ったから2度はない。
次その言葉を言われたら言おうと思う。


「二度と『家族みたいな存在』と言わないで」



勘違いされるかもしれないが
不思議と病んではいない。

なんでだろう。
全てに諦めが付いたというか。
希望とか絶望とかじゃなく。
最後のあの言葉を聞いてからは
なにも感じてない。



ただひとつだけ


僕はキミの次の話までの『ツナギ』じゃない。

難しい事はわからない。それでいい、わけない。

すき家で中国人同士が日本語でやり取りしている風景。
とても面白い。

 

あたかも今日あった出来事の様に話すけど、
今日は寝ていたので全て昨日の出来事なのだ。
日付過ぎたから一昨日か。


Twitterで興味深いツイートをみた。
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これ。
これすっごい頭いいよね。

 

マーケティングってこの前半部分でやってることをしてると思ってた(リクルート→学生)。
けど後半部分(リクルート→企業)もやることで意図的に需要を作り出すことって出来るんだなあと。
ゲームバー経営した頃からマーケティングに興味持ったけど全部独学だったからここまで考えれなかった。

この知識は覚えてて損はなさそう。

 

帰り道に『クワガタにチョップしたらタイムスリップした』を久しぶりに聴いたら普通にガチ泣きしてしまった。
歩きながら本気で涙が出てきた。情緒不安定かよ。

 

「これから君は何度でも
何度も何度も後悔し
何度も何度も傷ついて
何度も何度も泣くだろう
でもその一つ一つ
噛み締めて時が経つほど
いつの日か熱を帯び
手放しがたくなるから
何も知らずに帰りなさい
私はちゃんと幸せだ」

 

ほんとタイトルで損をしていると思う。
タイトルとのギャップを狙ってるのは分かるんだけど
ボカロ聴かない層に勧めにくい。笑


そういえば日雇い系の給料を頂いた。

働くってやっぱり楽しい。

行動がお金になって帰ってくるのだから。

4月の仕事が始まるのが楽しみ。

 

まだ青い空の色

まだ青い空の色

ブログを始めようと思う

今日は1日寝てた。

 

まあそれは置いといて、Twitterのツイートを休止した。
理由はいくつかある。


まず僕はTwitterを「独り言」「ネタの場」だと基本的には思っていた。
そんな中、彼氏に言われた。

「ネタツイをする人嫌い」

 

突然だな、おい。
まあ別にいいのだ。
僕が辞めればいいのだから。

 

ネタツイをしないことで、自分の事を冷静に考てしまった。
僕が何故ネタツイをするのか、そんなしょーもない理由を。

 

僕は小学生の頃からネットを始めた。
その頃はパソコンが家にない人も多く、周りにはタイピングすら満足に出来ない人ばかりだった。

友達とは一緒に出来ない。そんな中僕がハマったのはHabboホテルというチャットゲーだった。
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サイト運営もやった。楽天のサイトランキングにも載ってたんだぞ。えっへん。
2chもやってた。主にVIPだけだけど。
そんな中、どれも共通していたのは「インターネット上である事」と「ネタの巣窟である事」だった。
だから僕もそれが当たり前になってた。

 

そして今回僕が言われた「ネタツイをする人嫌い」という言葉。
つまり、

 

『僕にとってネタだったインターネットはいつの間にかオフラインと密接なものになっていた。』

 

ということなのかな。と

ただのインターネット老害になってたんだなって。
まあこれに気付けたのはいい事かもしれない。

ネタツイしないとTwitterモチベ上がらないし。


他にも理由があって、
僕の弱点というかダメなところとして、
記憶力があまり良くない。
基本的に思い出が薄い。

 

生活をしてて何か特殊な出来事が起こった時、
僕はTwitterを開いて思ったことを呟く。
これは僕の弱点である「記憶力が良くない」ということを瞬時にメモ(ツイート)することで補っていると思った。

 

これはあまり良くない傾向だと思う。
多分このままだと俺自身の成長に関わると思った。
だからTwitterをちょっと辞めてみた。

 

まあ案の定だけどそれでも反射的に思ったことをツイートする癖がある。笑
だからその時の感情はメモに書くようにした。

 

そしてこうやってブログに1日を思い出しながら書いてみたらどうだろうって思った。

 

そういう訳でとりあえずやってみる。